ワールドカップ優勝5回・オリンピック金メダル15個という圧倒的な実績を誇る常勝軍団アメリカ。
名だたるNBA選手を擁するオールスターチームは「勝って当たり前」と言われてきました。
しかし2019年中国で開催されたワールドカップにおいて、アメリカ代表が過去最低の第7位に終わったのは記憶に新しいところ。
この結果には国内外で様々な議論が巻き起こりました。
ではそんなアメリカは過去にもオリンピックやワールドカップなどの大舞台で負けてきたのでしょうか。
ということで今回はバスケットボール男子アメリカ代表の「オリンピックでの敗戦」に注目してみたいと思います。
※ 2021年8月 追記
東京オリンピック2020でのアメリカ代表の敗戦について追記しました。
オリンピック予選や日本代表戦を視聴する方法は別の記事で紹介していますので、こちらも合わせてご覧ください。
押さえておきたいポイント
アメリカ代表のオリンピックでの敗戦を理解するために押さえておきたいポイントはざっくりとこんな感じです。
ではこれらの疑問をしっかりと解決できるように、アメリカ代表について説明していきます。
アメリカ代表とNBA
本題に入る前にまずはアメリカ代表とNBAについて解説します。
バスケットボール競技における「プロ選手の参加資格」と「1992年ドリームチーム」について確認しておきましょう。
プロ選手の参加資格
各国のバスケットボール協会はFIBAという組織に加盟しています。
かつてFIBAの「A」がAmateurの頭文字だったことからも分かるように、ある時期までオリンピックなどの国際大会にプロバスケットボール選手が出場することは認められていませんでした。*1
つまりその頃の各国代表は、軍や大学などに所属するバスケットボール選手の中から選抜されていたんです。
もちろん後にNBAで活躍するようなスター選手たちも選ばれていますが、私たちが現在イメージするようなアメリカ代表とはかなり違った様子でした。
そんなFIBAは1989年に選手参加資格の規定を変更します。
つまりプロ選手の国際大会出場が認められ、いよいよ現役のNBA選手がオリンピックなどの大舞台に現れることになっていくわけです。
1992年ドリームチーム
NBA選手の出場が初めて認められたオリンピックが1992年開催のバルセロナオリンピックです。
このとき集まったアメリカ代表チームは「Dream Team」と呼ばれ、今でも伝説として語り継がれています。

他国の選手が試合中にもかかわらずカメラで写真を撮ってしまうほど、スター揃いの圧倒的なチームでした。
このドリームチームをきっかけにアメリカ代表は、今まで以上に「勝って当たり前」の宿命を背負うことになります。
というわけで今回の記事では、NBA選手を擁する1992年ドリームチーム以降のアメリカ代表がオリンピックで敗れた試合について解説したいと思います。
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アメリカ代表とオリンピック
アメリカ代表は1992年のドリームチーム以降も国際大会において圧倒的な力を示し続けましたが、そんな常勝軍団にも敗北の日が訪れることとなります。
ここではアメリカ代表のオリンピックにおける「通算成績」と「2004年アテネオリンピック」について確認しておきましょう。 *2
オリンピック通算成績
アメリカがこれまでにオリンピックで獲得したメダルは金15個・銀1個・銅2個の合計18個。
通算戦績も138勝5敗と圧倒的な結果を残しています。
NBA選手が参加した1992年以降の敗戦は「3試合」とありますが、実はいずれも2004年アテネオリンピックでの敗戦です。
この大会でアメリカ代表には一体何があったか、そのときの状況をざっくりと見ておきましょう。
※ 2021年 8月 追記
その結果、アメリカ代表のオリンピック通算成績は143勝6敗となりました。
2004年 アテネオリンピック
アメリカ代表はNBAシーズンに活躍した選手でチームを構成し、大会前年のオリンピック予選を無事に通過しました。
そしてその予選を戦ったメンバーを中心として、アテネオリンピックに向けたチーム作りを行っていきます。
しかし怪我や諸問題によって離脱者が続出。
予選メンバー12人のうちアレン・アイバーソン、ティム・ダンカン、リチャード・ジェファーソンのたった3人だけしか代表チームに残りませんでした。
その結果オリンピック直前にメンバーを追加で選考し、NBA経験がまだ浅い若手中心のチームロスターに再編する事態となってしまいます。
- アレン・アイバーソン(29歳)
- ティム・ダンカン(28歳)
- ステフォン・マーブリー(27歳)
- ショーン・マリオン(26歳)
- リチャード・ジェファーソン(24歳)
- ラマー・オドム(24歳)
- カルロス・ブーザー(22歳)
- ドウェイン・ウェイド(22歳)
- アマレ・スターダマイヤー(21歳)
- エメカ・オカフォー(21歳)
- カーメロ・アンソニー(20歳)
- レブロン・ジェームス(19歳)
改めて今見ると十分ドリームチームと呼ぶに相応しいメンツが揃っています。
ただレブロン・ジェームズやカーメロ・アンソニーといった2003年ドラフト組はまだNBAルーキーシーズンを終えたばかりの新人で、メンバーの内6人がNBA経験2年以下という構成だったんです。
後に「悪夢」として語り継がれることになるこのチームは、アテネオリンピックでどのような試合を行ったのでしょうか。
次はアテネオリンピックでの3つの敗戦についてそれぞれ見ていきましょう。
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- オリンピック通算戦績は138勝5敗
- 離脱者続出でオリンピック直前にチーム再編
- 若手中心の急造チームでアテネへ
アテネオリンピックでの3敗
ご存知の通り、2004年アテネオリンピックでアメリカ代表は銅メダルという結果に終わりました。
これはNBA選手が参加資格を得た1992年バルセロナ以降のオリンピックで、唯一アメリカが金メダルを逃した大会です。
予選ラウンド
決勝トーナメント
- 準々決勝 スペイン:勝利(102-94)
- 準決勝 アルゼンチン:敗北(81-89)
- 3位決定戦 リトアニア:勝利(104-96)
その後のアメリカ代表を根本から変えていくことになったこの歴史的な3敗について、少し踏み込んで確認してみましょう。
プエルトリコ
初戦の相手はオリンピック2週間前のエキシビジョンマッチで大勝しているプエルトリコ。

もちろん過去にオリンピックでプエルトリコがアメリカを下したことは一度もありません。
若手中心チームとはいえティム・ダンカンやアレン・アイバーソンといったメンバーを擁するスター軍団を前に、プエルトリコ代表は到底及ばないものと見られていました。
しかし蓋を開けてみればアメリカ代表オリンピック史上最大の19点差をつけられ大敗。
プエルトリコ代表のカルロス・アローヨが24得点7アシストの大活躍をする一方、アメリカ代表はFG34.2%にまで落ち込みました。
プエルトリコ代表が後のインタビューで語った内容によると、2週間前に大敗したエキシビジョンマッチで「アメリカ代表がゾーンディフェンスに弱い」という弱点を見抜いていたそうです。
プエルトリコがインサイドを固めて相手のアウトサイドシュートを誘ったこと、アメリカ代表のシュートが不調だったこと、そういった要因がこの歴史的な大敗を生み出したのかもしれません。
このアメリカの大敗は世界に衝撃を与えましたが、あくまで予選ラウンドの1敗。
チームの状態に一抹の不安を抱えながらも、アメリカは金メダルへの望みを残して次戦へと向かうことになります。
リトアニア
プエルトリコに敗戦したアメリカ代表はその後、開催国ギリシャと強豪オーストラリアに勝利し迎えた第4戦。
相手は今大会ここまで無敗のリトアニアです。

リトアニアといえば前大会のシドニーオリンピック準決勝でアメリカと死闘を繰り広げたチーム。
そこでは惜しくもラストショットを外し2点差で敗れましたが、3位決定戦に勝利したリトアニア代表は銅メダルを獲得しました。
この試合アメリカ代表のリチャード・ジェファーソンが20得点、ティム・ダンカンが16得点12リバウンドと終始試合のペースを支配して最終第4クォーターへ。
しかし残り3分を切ってからリトアニア代表のサルナス・ヤシケビシウスがビッグショットを連発します。
ヤシケビウスは前回のシドニーオリンピック準決勝で逆転をかけたラストショットを外した選手。
あの敗北から4年後に再び迎えたこの大一番、ヤシケビウスはゲームハイの28得点を記録しチームを勝利に導きました。
12年前にドリームチームが51点差で下したリトアニアを相手に、アメリカ代表は今大会2敗目を記録することとなりました。
それはアメリカ代表が過去68年間のオリンピックで負けた数に相当します。
準々決勝 アルゼンチン
リトアニアに敗戦した2日後のアンゴラ戦に勝利したことによって、アメリカ代表は予選ラウンドを3勝2敗で通過します。
その後の準々決勝で今大会無敗だったスペインに勝利できたことは、アテネオリンピックアメリカ代表の一番の勝利と言えるかもしれません。
そして準決勝に迎えた相手は、2002年世界選手権でアメリカ代表の国際試合58連勝をストップさせたアルゼンチンです。

この時代のアルゼンチン代表はまさに黄金時代の真っ只中。
マヌ・ジノビリを筆頭に、ルイス・スコラやアンドレス・ノシオー二といったNBA経験者が7人揃っていました。
先述の通り81-89でアメリカは今大会3敗目を記録することになりましたが、実際の試合内容はスコア以上に差があったように思えます。
ジノビリの29得点をはじめ、アルゼンチン代表は50%の高確率で3Pシュートを沈めるなど攻守においてアメリカを圧倒しました。
この敗戦によってアメリカはついにドリームチームから続くオリンピック金メダルの可能性が消滅。
逆にアルゼンチン代表は勢いそのまま決勝戦も制して金メダルを獲得することとなります。
続く3位決定戦でリトアニアにリベンジを果たし何とかメダルを手にしたアメリカ。
「銅メダル」と「歴史的な敗北」を本国に持ち帰ったアメリカ代表は、今後の再建をサンズのジェリー・コランジェロに託します。
このアテネオリンピックでの配線をきっかけに、メンバー選考を含め長期的戦略のチーム作りを始めたアメリカ代表チーム。
マイク・マイクシャセフスキーHCを中心としたスタッフと共に再び勝利を重ね、現在は名将グレッグ・ポポビッチHCが指揮をとっています。
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東京オリンピック2020
1年の延期を経て、2021年に開催された東京オリンピック2020。
オリンピック4連覇を狙うアメリカ代表でしたが、予選リーグにおけるフランス代表との対戦でアテネオリンピック以来の敗戦を喫しました。

2004年の悪夢を思い出すような苦い敗戦でしたが、それ以降尻上がりに調子を上げたアメリカ代表は予選リーグを無事突破。
その後トーナメントを勝ち抜いたアメリカ代表は、決勝で宿敵フランスを破り見事オリンピック4連覇を達成しました。
予選ラウンド
- フランス:敗北(76-83)
- イラン:勝利(120-66)
- チェコ:勝利(119-84)
決勝トーナメント
- 準々決勝 スペイン:勝利(95-81)
- 準決勝 オーストラリア:勝利(97-78)
- 決勝 フランス:勝利(87-82)
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まとめ
今回はアメリカ代表のオリンピックでの敗北について解説しました。
なんとも性根の曲がったテーマでしたが、調べてみると色々な発見があるものです。
それではここで改めて今回解説した内容をおさらいしておきましょう。
- 1989年の規定変更でプロ選手も出場可能に
- バルセロナ五輪ではドリームチームを結成
- オリンピック通算戦績は143勝6敗
- 若手中心の急造チームでアテネへ
- アテネ五輪でアメリカは銅メダルに終わる
- 初戦のプエルトリコに19点差の歴史的大敗
- リトアニアに競り負け予選ラウンド2敗に
- 準決勝でアルゼンチン相手に完敗
- この大会をきっかけにアメリカ代表チーム再建へ
- 東京五輪でフランス代表に敗れる
最後に
「用語で解るNBA」というカテゴリーでは他にもNBAの解説を投稿していますので是非覗いてみてください。
(参考)
USA Basketball Men's National Team