女子バスケットボールの最高峰「WNBA」は、世界中の才能が集まる舞台です。
これまで日本からも多くの選手がこの挑戦の舞台に立ち、世界のトッププレーヤーたちと競い合ってきました
ということで今回の記事では、WNBAで活躍した歴代日本人選手について解説したいと思います。
歴代日本人選手の軌跡や成績、また現在進行形で挑戦している選手たちなども詳しく見ていきましょう。
押さえておきたいポイント
"WNBAで活躍した歴代日本人選手"を理解するために、押さえておきたいポイントはざっくりとこんな感じです。
では、これらの疑問をしっかりと解決できるように、"WNBAで活躍した歴代日本人選手"について紹介していきます。
WNBAについて
まずは、WNBAについて解説します。
日本人選手の挑戦が増えた背景なども見ておきましょう。
世界最高峰の女子バスケリーグ
WNBA(Women’s National Basketball Association)は、世界最高峰の女子バスケットボールリーグとして知られています。
1980年代に創設され、現在では世界中からトップ選手が集まり、技術、スピード、戦略のすべてにおいて極限のレベルを誇るリーグです。
アメリカのプロバスケットボールリーグであるNBAの姉妹リーグとしても注目されるこのリーグは、アメリカ国内だけでなく、世界中の女子バスケ選手にとって夢の舞台といえるでしょう。
WNBAで活躍することは、女子バスケ選手にとって最高の栄誉・挑戦であり、多くの選手がこの舞台を目指して日々努力を重ねているのです。
日本人選手の挑戦が増えた背景
日本人選手がWNBAなど海外のリーグに挑戦するケースは年々増えてきていますが、その背景には日本国内の女子バスケットボールのレベル向上があります。
近年は日本国内のリーグ(Wリーグ)の競技環境が整い、若い選手たちがより高いレベルでの競技に挑む姿勢が強化されました。
特に、日本代表選手たちの活躍は、日本人選手がWNBAに挑戦する大きな要因となっています。
代表活動を通じて得た経験や海外での活躍を通じて、挑戦することの重要性を選手たちが理解するようになり、積極的に自分のキャリアを広げる意識が生まれているのです。
今後も日本の女子バスケの発展とともに、さらに多くの選手が世界の舞台で活躍することが期待されています。
男子のNBA選手だけでなく、女子選手の活躍にも是非注目してください。
WNBAを視聴する方法
WNBAの試合は、日本からも視聴可能です。
公式戦のライブ配信や見逃し配信を行っているプラットフォームがいくつかあり、自分の視聴スタイルに合った方法を選ぶことができます。
主な視聴方法はこちら↓
日本人選手の試合を視聴するなら、特におすすめなのが「NBA Rakuten」です。
NBA Rakutenといえば、NBA全試合配信のサービスですが、実はWNBAの試合も配信しています。
特に日本人選手の試合には力を入れており、例えば町田瑠唯選手がワシントン・ミスティクスに所属していた際には、彼女が出場する試合が多数配信されました。
日本語解説付きの試合もあり、WNBA初心者でも楽しみやすいのが魅力です。
現在、NBA Rakutenの利用料金は月額4,500円ですが、楽天モバイルの「Rakuten最強プラン」に加入していると、追加料金なしでNBA Rakutenを視聴可能。
「Rakuten最強プラン」は月額968円から利用できるため、携帯キャリアを楽天モバイルに変更すれば、かなりお得にWNBAを楽しむことができます。
日本人選手の活躍も増えているので、今後さらに視聴環境が整う可能性も。
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WNBAで活躍した歴代日本人選手
では、WNBAで活躍した歴代日本人選手を紹介します。
各選手の成績や契約についてまとめました。
萩原美樹子

萩原美樹子さんは、日本人初のWNBAプレーヤーとして、女子バスケの歴史に名を刻んだ選手です。
1997年、彼女は日本人選手として初めてWNBAドラフトで指名され、サクラメント・モナークスに入団しました。
シーズン途中には、フェニックス・マーキュリーに移籍し、1998年シーズンまでそのチームでプレー。
WNBAでは、合計36試合に出場し、平均11.6分のプレータイムを得て、2.7得点、0.7リバウンド、0.6アシストを記録しています。
萩原選手のWNBAでの活躍は、当時の日本のバスケ界に大きな影響を与え、女子バスケの認知度向上にも貢献しました。
日本人選手がWNBAでプレーするという挑戦は、その後の選手たちにとっても一つの目標となり、彼女の成功が多くの若い選手たちに勇気を与えるきっかけとなったのです。
大神雄子

大神雄子さんは、日本国内で数々のタイトルを獲得し、その実力で日本女子バスケ界を牽引してきた選手です。
ジャパンエナジーJOMOサンフラワーズで活躍していた彼女は、先輩である萩原美樹子選手が在籍したフェニックス・マーキュリーとトレーニングキャンプ契約を結び、アメリカのプロリーグ挑戦に向けた第一歩を踏み出しました。
そして、2008年に見事に開幕ロスター入りを果たした大神さんは、日本人選手として2人目となるWNBAデビューを達成。
合計23試合に出場し、平均7.8分の出場時間を得て、2.4得点、0.7リバウンド、0.6アシストの成績を記録しています。
翌年2009年にもフェニックス・マーキュリーのトレーニングキャンプに参加しましたが、ロスターの座を勝ち取ることはできませんでした。
それでも、萩原美樹子さんのWNBAデビューから10年の時を経て、WNBAの舞台に立った大神さんの挑戦が、日本女子バスケ界とWNBAをつなぐ大きな架け橋となったことは間違いありません。
渡嘉敷来夢

Wリーグではデビューシーズンから圧倒的なパフォーマンスを発揮し、ルーキー・オブ・ザ・イヤーだけでなく、レギュラーシーズンMVPも獲得した渡嘉敷来夢選手。
そんな渡嘉敷選手は、2015年にWNBAのシアトル・ストームと契約を締結し、日本人選手として史上3人目のWNBAデビューを果たしました。
1年目から30試合に出場し、1試合平均8.2得点、3.3リバウンドという堂々たる成績を記録しています。
その活躍が評価され、WNBAのオールルーキーチーム(新人ベスト5)に選出される快挙を達成しました。
その後もWNBAでプレーを続け、3シーズンにわたり通算94試合に出場。
キャリア平均では1試合あたり15.2分のプレータイムで5.5得点、2.4リバウンド、0.6アシストを記録し、日本のバスケットボール選手が、世界トップレベルの舞台で活躍できることを証明しています。
町田瑠唯

2021年の東京オリンピックでは、日本代表の司令塔として圧巻のプレーを披露した町田瑠唯選手。
銀メダル獲得の快挙に大きく貢献した町田選手は、世界屈指のポイントガードの一人として一躍注目を集めました。
その活躍が評価され、2022年2月14日にWNBAのワシントン・ミスティクスと契約。
同年5月6日のインディアナ・フィーバー戦で途中出場し、日本人史上4人目のWNBAデビューを果たしています。
2022年シーズンは、ルーキーながら36試合に出場。
決して派手なスタッツではありませんでしたが、160cmという小柄な体格から繰り出される正確なパスワークは、WNBAの屈強なプレーヤーたちの間でも光る存在となりました。
WNBAに挑戦する日本人選手は他にも
ここまで紹介した選手たち以外にも、WNBAに挑戦する選手は数多くいます。
近年WNBAと契約した選手や、トレーニングキャンプに参加した選手について見ておきましょう。
馬瓜ステファニー

日本代表としても存在感を発揮する馬瓜ステファニー選手は、2023年にWNBAのニューヨーク・リバティとトレーニングキャンプ契約を結び、WNBAの舞台に挑戦しています。
惜しくも開幕ロスター入りは叶いませんでしたが、プレシーズンゲーム2試合に出場し、アメリカのトップリーグで自身の力を試しました。
翌2024年には再びニューヨーク・リバティとトレーニングキャンプ契約を締結し、2年連続でWNBAに挑戦。
しかし、このシーズンも開幕ロスターには残ることができず、新たな挑戦の場を求めることになります。
現在は、スペインリーグのサラゴサに所属中。
引き続き欧州のトップリーグで経験を積みながら、海外での挑戦を続けています。
山本麻衣

2025年2月、WNBAのダラス・ウィングスは、日本の若手ガード山本麻衣選手とトレーニングキャンプ契約を締結したことを発表しました。
山本選手は、日本人として5人目のWNBAプレーヤーを目指し、世界最高峰の舞台に挑みます。
今回の契約の背景には、山本選手が所属するトヨタ自動車アンテロープスとダラス・ウィングスが2024年5月に締結したパートナー契約が関係しています。
この提携は、「世界を目指す日本の若いアスリートたちの活躍の場を広げる」ことを目的としており、日本とアメリカのバスケットボール界の架け橋となるプロジェクトの一環です。
山本選手が参加するトレーニングキャンプは2025年4月28日にスタート。
また、5月10日にはダラス・ウィングスとトヨタ自動車アンテロープスによるプレシーズンマッチの開催も決定しており、日本とアメリカの強豪チームが直接対決する貴重な機会となります。
2025年5月追記
2025年5月12日、ダラス・ウィングスは山本選手をウェイブ(契約解除)したことを正式に発表。
山本選手はプレシーズン期間中、限られた出場時間ながらも持ち味であるスピードや3Pシュートを随所に発揮しましたが、惜しくも開幕ロスターには残ることはできませんでした。

